手に入れるために気付かず失った多くの代償
手に入れるためにどれだけのものを失ってきたのだろうか。逆に失う事でどれだけの物を手に入れてきたのだろう。その時に気付かなくとも必ずと言ってもいい程この条件は誰にでもあてはまる。あてはまらない人はいないだろう。
そう、例えば今ではお金持ちになった人でも、昔の事を話すときは貧しく大変だったと言われる。毎日働いて苦しい思いをしてきたそして今があるのだと言われるのだ。芸能人だってそうだ。最初から高収入であるはずもなく、名が売れるまでどれだけの努力をし、働いてきたのだろうか。
人は芸能人がテレビに現れると何の努力もなしにいきなり有名人になったように感じているようだが、違うのだ。最初から上手く事が運んでいく人の方が少ない。むしろそういった人は名を失うのも早い。それに比べて時間かけて上ってきた人たちは下積み時代がある為簡単には壊れないのだ。壁にぶち当たったとしてもそれが最悪と受け止めず、その壁を飛び越える事を考える。最悪をもチャンスに変える力を持っているのだ。
この話の中で失っているものがあるのかと思った人はいるだろうか?多くの失っているものがあるじゃないか。それは、その人が「今」を作り出すために使った時間。失ったものとは「時間」の事だ。時間はお金で買うことは出来ない貴重なもの。そして取り戻せないもの。これを代償にして得られたものは大きい。この代償は何にも変えられないものだから。
この時間をどう使うのかはその人次第であり、その使い方によっては今まで多くの富を生んできた人のように、貴方も同じだけの時間の代償を支払ったら可能かもしれない。しかし、あともう一つ同じだけ「時間」と同じく大切なものがある。それはその人の努力を表すもの「労働力」である。先に話した通りすぐに何もかもが上手くいっていたわけではない。上手くいったのはその人の努力の成果であり、それだけの時間と労働力を割いたからに他ならない。多くの時間と労働力を失ったうえで手に入るものがある。それはどんなものよりも輝かしく、誇れるべきものだ。
